35歳から婚活を始め、結婚相談所や婚活パーティーに100万円以上をかけて挑戦しましたが、40歳で結婚できず退会に。
「もう無理だ」と諦め、自分には価値がないようにさえ思えました。
そんな私が42歳のとき、父が末期ガンと告げられました。
親戚を集めた会食の場で、父は力強くこう言いました。
「俺はしぶとく生きる」 その言葉に、私は後頭部を殴られたような衝撃を受けました。 “命を懸けても生きようとする父”と、“人生を投げ出していた自分”。恥ずかしくなりました。
その翌週、新聞の地方面で見つけた結婚相談所の広告を頼りに、再び婚活を始めました。そして43歳で結婚。現在は2児の父です。
福生に生まれ育って約60年。人生のどん底を知っているからこそ、誰よりも「出会うことの尊さ」を信じています。
49歳でボランティア婚活アドバイザーを始め、55歳で結婚相談所を開業。
59歳には「福生で出会い、福生に住み、福生を応援する会」を立ち上げました。
独身の方とそのご家族の幸せ、そして地域の未来のために、私は今日も“諦めない婚活”を応援しています。
1985年「結婚式場 目黒雅叙園」でアルバイト中に、結婚披露宴のお開きで新婦のお父様が涙している姿を見て「家族の幸せ」に感動する。
1989年大正製薬に入社し、営業サポート部門に勤務する。
1992年友人の結婚披露宴で司会をしたことがきっかけに、ラジオ短波のアナウンス教室、フリーアナウンサー押坂忍さんのアナウンス学校に通う。
1995年結婚式場にピアノ奏者を派遣する音楽事務所所属の結婚披露宴のプロ司会者に。その後音楽事務所が倒産し、結婚披露宴司会者を廃業する。
2000年(35歳)「データ登録マッチングタイプ」の結婚相談所(恵比寿)に入会する。毎月女性2名紹介(写真・プロフィール記載)、婚活パーティーに参加し、婚活を開始する。
2005年(40歳)結婚できずに5年間在籍した結婚相談所を退会する。
(データ登録マッチングタイプの結婚相談所規定:男性40歳到達時、未婚の場合は退会)
2007年(42歳)末期がんであった父親の生きることを諦めない姿勢に奮起し、婚活を再開、夫婦で経営する結婚相談所(立川)に入会する。結婚相談所に入会した3か月後、父親は逝去する。父親が逝去した2か月後、年間30組以上を成婚させるカリスマ仲人のアドバイスを受け、結婚相談所入会の5か月目に今の妻にプロポーズし、受諾される。
2008年(43歳)父親が逝去した1年後に結婚式を行う。
2014年結婚相談所団体に入会し、ボランティアで婚活仲人を始める。
結婚相談所業界の知識を得て、6年間婚活アドバイザーの経験を積む。
2020年大正製薬を退社し、14年間の婚活に関する知識と経験を基に、結婚相談所を開業する。入会後の会員に対する目標は「6か月成婚、1年結婚」とし、『結婚』によって「家族の幸せ」と「新しい人生を歩み始めること」を導く。
プロポーズが受諾された成婚後は、元プロ司会者から見た結婚披露宴のアドバイス、結婚後の新生活のアドバイスなど7つのコミュニケーションを通して『婚活から始まる一生付き合う結婚相談所』を掲げ、夫婦の困難が生じたときは相談に応じ、「成婚会員の離婚0ゼロ」を目指している。
○仲人カウンセラー(IBJ発行)
※仲人カウンセラー証の「日本結婚相談所連盟」は
令和5年4月に名称が【IBJ】に変更